加藤嘉 氏(かとうよし)
俳優[日本]
1988年 3月1日 死去脳卒中享年76歳
加藤 嘉(かとう よし、1913年〈大正2年〉1月12日 - 1988年〈昭和63年〉3月1日)は、日本の俳優。
本名:加藤 嘉〈かとう ただし〉。
音読みでは「かとう か」と呼ばれる。
東京市芝区新堀町(現在の東京都港区芝)出身。
慶應義塾高等部(旧制慶應義塾大学の大学専門部)中退。
新倉事務所に所属していた。
4度結婚しており、前妻は山田五十鈴、後妻は女優の中村雅子(詳しくは後述)。
来歴・人物=
祖父は材木商をしていたが、父は無職で、不動産収入で生活していた。
母・長子との長男として誕生(妹が1人いたが、早くに亡くなっている)。
鎌倉師範付属小学校から慶應義塾商工学校に入り、専門部の慶應義塾高等部に進む。
在学中、先輩の徳大寺伸が主宰するアマチュア劇団に誘われ、公演に助っ人として参加。
当時は俳優になるつもりはなく、山岳部の活動をしながら学生生活を送っていたが、ラグビー部員に刀の鍔で殴られて失明状態になり、僅か1年で高等部を中退している。
目は半年後に回復し、その後は素人劇団に出演していた。
本格的に俳優の道へ=
1934年(昭和9年)1月、東京宝塚劇場の専属俳優募集の広告を見て俳優を志し、既成俳優を含む1300人の応募者から男16人、女9人の合格者の中に選ばれる。
合格者の中には谷幹一、森野鍛冶哉、伏見信子、伊藤雄之助らもいた。
しかし、大部屋生活に不満を持ち、それまで関心のなかった新劇を見るようになる。
反戦劇に ……
加藤嘉さんが亡くなってから、36年と265日が経ちました。(13414日)