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宮口精二 氏(みやぐちせいじ)

俳優[日本]

1985年 4月12日 死去肺がん享年73歳

宮口精二 - ウィキペディアより引用

宮口 精二(みやぐち せいじ、1913年〈大正2年〉11月15日 - 1985年〈昭和60年〉4月12日)は、日本の俳優。
本名は宮口 精次。
身長159cm。
築地座を経て文学座に参加し、同座の中心として多くの舞台に立ち、文学座退団後は東宝演劇部に所属して商業演劇に出演した。
戦後から映画にも多く出演、巨匠監督の作品に立て続けに起用され脇役として活躍した。
主な出演映画に『七人の侍』『張込み』『日本のいちばん長い日』など。
亡くなるまで約15年間、編集兼発行人として季刊『俳優館』を出し続けた。
来歴・人物= 1913年(大正2年)11月15日、東京府東京市本所区緑町(現:墨田区緑)に、大工の父・周市と母・もとの6人兄弟の次男として生まれる。
幼時に本所区内の林町に移住する。
中和尋常小学校を経て東京市立第二中学校に入学するが、家庭の経済的事情から同校の夜学である上野夜間中学に転じ、同時に校長の紹介で福徳生命(現在のマニュライフ生命保険)東京支店に給仕として入社する。
1931年(昭和6年)の卒業後も同社に勤務していたが、芝居好きの会社の同僚の誘いで歌舞伎や新劇を観るようになり、本人曰く「同じ貧乏をするなら、自分の好きな道で」とのことで役者を志す。
1933年(昭和8年)9月、友田恭助・田村秋子夫妻らが設立した築地座の研究生募集に応じて入団し、同年『アルトハイデルベルヒ』の通行人の学生役で初舞台を踏む。
1935年(昭和10年)、久保田万太郎作『 ……

宮口精二さんが亡くなってから、39年と223日が経ちました。(14468日)