神波史男 氏(こうなみふみお)
脚本家[日本]
2012年 3月4日 死去多臓器不全享年79歳
神波 史男(こうなみ ふみお、1934年1月10日 - 2012年3月4日)は、日本の脚本家。
深作欣二の信頼が厚かった脚本家として知られる。
来歴=
東京市方南町生まれ。
小学校の時、集団疎開で長野へ行き、終戦後、永田町小学校に転入。
1952年に東京都立日比谷高等学校、1956年に東京大学仏文科卒業。
同級生に佐藤純彌、降旗康男、中島貞夫らがいた。
1958年、東映へ入社。
映画界を志したのは「チンピラ左翼崩れの愛情乞食。
安酒くらいの告白屋。
そういうみっともない自分を破壊するには、なぜか映画に入るのが一番と思った」からという。
入社後は企画本部脚本課配属となったものの、すぐ助監督部へ出向となる。
しかし、基本給1万円で残業手当が3万円を超えるなど、過酷な労働環境に音を上げ、自ら脚本課への復帰を嘆願。
これが認められ、以後、脚本家の道を歩む。
1960年、『おれたちの真昼』で脚本家デビュー(同期の小野竜之助との共作)。
完成試写を見た企画本部長の坪井与から「松竹ヌーベルバーグに対して東映ヌーベルバーグだ」との評価を得る。
以来、60作あまりの脚本を担当。
またさまざまな理由で日の目を見なかった(流れた)脚本も30作を超えており(その中には同タイトルの別作品も作られるなど曰く付きの『いつかギラギラする日』もある)、その1作1作について思いの丈を綴った「流れモノ列伝 ぼうふら脚本家の映画私記」は映画関係者の回顧録としては希 ……
神波 史男氏(こうなみ・ふみお=脚本家)4日午後1時55分、多臓器不全のため死去、78歳。東京都出身。葬儀は近親者で行った。後日、お別れの会を行う。 映画「火宅の人」「華の乱」でそれぞれ日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞。他の脚本作に「女囚701号さそり」「高校大パニック」など。
神波史男さんが亡くなってから、12年と262日が経ちました。(4645日)