押川方義(おしかわまさよし)
宗教家・キリスト教、教育者[日本]
(嘉永2年12月5日生、東北学院・宮城学院 創立者)
1928年 1月10日 死去脳溢血享年79歳
押川 方義(おしかわ まさよし、1850年1月17日〈嘉永2年12月5日〉 - 1928年〈昭和3年〉1月10日)は、日本人のキリスト教宗教家、教育者。
東北学院及び宮城学院の創立者。
日韓同志組合代表者の一人。
新島襄、本多庸一、植村正久、内村鑑三、新渡戸稲造と並び、明治期日本におけるキリスト教主義教育の先駆者とされる。
長男は、冒険小説家の草分け押川春浪(本名、方存)。
二男は、プロ野球の生みの親である押川清。
NHK朝の連続テレビ小説『はね駒』の登場人物・松浪毅のモデルである。
生涯=
生年=
押川方義の生年に関しては諸説あったが、押川家の鎧櫃から「熊三郎 産髪包紙銘記 嘉永二年十二月五日出生 熊三郎産髪」 と記された和紙が発見され(実際に産髪が包装されていた)、嘉永2年生まれ(グレゴリオ暦への換算では1850年)であることがほぼ確実となった。
初期=
ジェームス・ハミルトン・バラ(James Hamilton Ballagh)
青年時代の押川方義
松山藩士橋本宅次の三男として生まれ、押川方至の養子となる。
父は槍の名人であったが、ある事件に関係したため、その責任により自刃(割腹)して果てた。
一家の中心を失って収入の道を絶たれ、母の只子が機織りをして家系を支えた。
この窮状をみかねた同藩士の押川方至が、熊三少年を養嗣子として引き取り、方義を名乗らせる。
1866年(慶応2年)の第二次長州征伐に松山藩兵として従軍。
ジェームス・ハミルトン・バラ(James Hamilton Bal ……
押川方義が亡くなってから、96年と316日が経過しました。(35380日)