白瀬矗(しらせのぶ)
探検家、陸軍中尉[日本]
1946年 9月4日 死去享年86歳
白瀬 矗(しらせ のぶ、1861年7月20日(文久元年6月13日)- 1946年(昭和21年)9月4日)は、日本の陸軍軍人、南極探検家。
最終階級は陸軍輜重兵中尉。
幼名は知教(ちきょう)。
「白瀬中尉」と呼ばれることが多い。
生涯=
出生と陸軍入隊=
文久元年(1861年)、出羽国由利郡金浦村(現在の秋田県にかほ市)出身。
浄蓮寺の住職、白瀬知道・マキエの長男として生まれた。
南極探検以後になって出版した自伝によると、幼年時代は非常にわんぱくだったという。
「金浦の浜辺に漁師が捨てた小魚を狙ってきた狐の尻尾をちぎった」「海に潜って300トンもある千石船の底を潜り抜けようとしたが、抜けられずに溺れて死にかけた」「本堂に引っかった凧を取ろうとして落っこちた」のほか、狼退治や150人と血闘を行ったなどと列挙している。
8歳(数え年だと9歳)の頃に、平田篤胤の高弟ともいわれる医師で蘭学者(漢学者とも)の佐々木節斎の寺子屋に入る。
佐々木は読み書きソロバンや四書五経を教え、その他にもコロンブスやマゼランの地理探検、そしてジョン・フランクリン隊の遭難(フランクリン遠征)などの話を聞かせた。
白瀬は11歳の頃に佐々木より北極の話を聞き、探検家を志すようになる。
このとき佐々木は、白瀬に対し5つの戒めを教えた。
酒を飲まない
煙草を吸わない
茶を飲まない
湯を飲まない
寒中でも火にあたらない
白瀬は18歳頃から守るようになり、生涯この戒めを守 ……
白瀬矗が亡くなってから、78年と35日が経過しました。(28525日)