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須川栄三 氏(すがわえいぞう)

映画監督脚本家[日本]

1998年 10月2日 死去享年69歳

須川栄三 - ウィキペディアより引用

須川 栄三(すがわ えいぞう、1930年〈昭和5年〉9月8日 - 1998年〈平成10年〉10月2日)は、日本の映画監督、脚本家。
代表作に『野獣死すべし』『君も出世ができる』『蛍川』など。
略歴= 大阪府大阪市西区新町で石綿(アスベスト)製造販売業の家に生まれ、旧制大阪府立八尾中学校(現・大阪府立八尾高等学校)、旧制姫路高等学校(現・神戸大学)を経て、1953年(昭和28年)東京大学経済学部を卒業し、東宝に入社。
映画界入りのきっかけは、終戦直後の日本に大量に輸入された外国映画の洗礼を受けたことだった。
助監督時代に執筆したシナリオ『危険な英雄たち』が、1957年に鈴木英夫監督、石原慎太郎主演によるピカレスク(悪漢小説)・ドラマ『危険な英雄』として製作・公開され、シナリオも書ける助監督の有望株として評価を受ける。
1958年9月、東宝助監督会を中心にして起こった、石原慎太郎の監督起用反対運動に対する会社側の解決策として、岡本喜八とともに監督に昇進。
当時、チーフ助監督として長い下積み期間を要した助監督たちの中にあって、須川は成瀬巳喜男監督の『鰯雲』1本のみしかチーフ助監督を経験しておらず、入社から5年、27歳での異例のスピード昇進であった。
デビュー作は、同年の『青春白書 大人には分らない』。
1959年の第2作『野獣死すべし』では、若いスタッフが中心となってクールなピカレスク・ロマンを作り上げ、日本映画のヌーヴェル・ヴァーグと絶賛 ……

須川栄三さんが亡くなってから、26年と63日が経ちました。(9560日)