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白坂依志夫 氏(しらさかよしお)

脚本家[日本]

2015年 1月2日 死去肺炎享年84歳

白坂 依志夫(しらさか よしお、1932年(昭和7年)9月1日 - 2015年(平成27年)1月2日)は、日本の脚本家である。
本名︰八住 利義(やすみ としよし)。
市川市が特別協力する水木洋子の名を冠した「市川市水木洋子シナリオ賞」選考委員長。
日本シナリオ作家協会全部委託承継会員。
略歴= 1932年(昭和7年)9月1日、東京府東京市(現在の東京都)に生まれる。
父はロシア文学者から脚本家に転じ、映画脚本界の大御所として知られた八住利雄(1903年 - 1991年)、母の父(母方の祖父)が山本露葉(1879年 - 1928年)、母の実弟(母方の叔父)が山本夏彦(1915年 - 2002年)である。
中学生時代から、多作で知られた父のラジオドラマの脚本などを代作。
成城学園高等学校卒業。
早稲田大学文学部在学中は、左幸子や新東宝の若手俳優と劇団を結成し演劇活動に熱中するが、やがてアルバイトで脚本を書き始める。
1953年(昭和28年)に大学を中退。
1955年(昭和30年)、大映東京撮影所に脚本家として入社する。
ペンネームは、デビュー当時の阪神タイガースの二遊間コンビ、白坂長栄と吉田義男に由来するが、特にタイガース・ファンという訳ではなかった。
高校時代から交流があった三島由紀夫作品を原作とした『永すぎた春』(監督田中重雄、1957年)で注目され、1957年(昭和32年)、大映を退社し、各社と契約。
『巨人と玩具』(監督増村保造、大映、1958年)、自らも出演した『野獣死すべし』 ……

白坂依志夫さんが亡くなってから、9年と324日が経ちました。(3611日)

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