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田中登 氏(たなかのぼる)

映画監督[日本]

2006年 10月4日 死去急性動脈瘤解離享年70歳

田中 登(たなか のぼる、1937年8月15日 - 2006年10月4日)は、日本の映画監督。
経歴[編集] 長野県白馬村出身。
長野県大町高等学校を経て明治大学文学部仏文科入学。
在学中、黒澤明の『用心棒』にアルバイトとして参加する。
1961年、200倍以上の難関を勝ち抜いて日活演出部に入社。
フランス映画狂いで、付けられたニックネームは「ムッシュ」。
助監督会の幹事も務めた。
日活がロマンポルノ路線に転向すると、1972年『花弁のしずく』で監督デビュー。
翌1973年に撮った『㊙女郎責め地獄』では美術の川崎軍二と組んだグロテスクかつサイケデリックな映像美が評価され、日本映画監督協会新人賞奨励賞を受賞した。
その後も田中&川崎コンビで秀作を量産、1975~1978年に3本がキネマ旬報ベスト・テン入りを果たした。
田中は神代辰巳と並ぶロマンポルノのエース監督と目されるようになり、前後して東映の大作にも外部招聘された。
映像へのこだわりは常軌を逸することもあり、『発禁本「美人乱舞」より 責める!』では、極寒の日光・戦場ヶ原でロケを敢行。
主人公・タエ役の宮下順子を長嬬祥一枚で沼に沈めるシーン(映画の最後に表示される「責の四十八手」には「沼に沈める責」というのがある)の撮影では、深夜、田中がスタッフと2人で氷の張った沼にゴムの合羽姿で潜ってドラム缶を設置、翌日のロケではそのドラム缶にぬるい湯が入れられたものの、宮下はあまりの寒さに失神 ……

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田中登さんが亡くなってから、17年と297日が経ちました。(6506日)