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俊藤浩滋 氏(しゅんどうこうじ)

映画プロデューサー[日本]

2001年 10月13日 死去肝不全享年86歳

俊藤 浩滋(しゅんどう こうじ、1916年11月27日 - 2001年10月12日)は、日本の映画・テレビドラマのプロデューサー。
本名:俊藤 博(しゅんどう ひろし)。
神戸市長田区出身。
女優の富司純子は娘。
孫に女優の寺島しのぶ、歌舞伎俳優の五代目 尾上菊之助がいる。
上羽秀は後妻。
来歴= 夜間の神戸市立第二神港商業学校卒業。
山口組最高幹部であった菅谷政雄とは同郷の幼馴染で、親友であった。
太平洋戦争時には徴兵や軍需工場への動員で過ごすが、御影町の五島組(ごしまくみ)の賭場に通うなかで、大野福次郎(1900年 - 1953年)と出会った。
大野は旧姓を五島といい大野家に養子となったが、兄弟は男だけの9人兄弟で長男の五島清吉を含め4人がヤクザとなった家系である。
大野は、御影町の旧家の出身で全国の博徒や右翼と交際した旦那やくざの嘉納健治の子分となり、山形の下に「丁」のヤマチョウの代紋を継承した五島組を興し沿岸荷役のほとんどを独占した。
戦時中は嘉納と親交のあった岩田愛之助の紹介で上海に進出した。
戦後は山口組、本多会と並ぶ神戸の御三家としてあらゆる資金源を開拓した。
俊藤は五島組の興行を手伝っていたとされる。
このため東映内部においても「あのひとは玄人上がり」という声が残っている。
結婚していたが別居し、1948年、当時松竹の経営人の一人である白井信夫に身受けされていた上羽秀(後にバー「おそめ」のママとなり、小説・ ……

俊藤浩滋さんが亡くなってから、23年と39日が経ちました。(8440日)

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