菅谷政雄 氏(すがたにまさお)
ヤクザ、元三代目山口組若頭補佐、菅谷組組長[日本]
(通称「ボンノ」)
1981年 11月25日 死去享年67歳
菅谷 政雄(すがたに まさお、1914年 - 1981年11月25日)は、20世紀に活動した日本のヤクザ。
暴力団・菅谷組組長、三代目山口組若頭補佐などを歴任し、1963年から1975年まで上部団体・三代目山口組の最高幹部にあたる若頭補佐を務め、大きな勢力を保持。
“ボンノ”の通称を持った。
不良少年時代=
1914年、神戸市葺合区(現在の中央区)南本町(新川スラム)に生まれる。
兄に博徒の菅谷三蔵がいる(三蔵は大阪市西成区に本拠を置いていた松田組組長・松田雪重と有田組で同門)。
「ボンノ」の渾名は、少年時代に近隣の法専寺の和尚から「この煩悩め!」と一喝されたことから、以降そう呼ばれるようになったとする説がある。
両親からはボンノーと呼ばれており、自身も「ボンノ」という渾名が気に入っていたと言われる。
少年時代からの友人に松浦繁明、井志繁雅、俊藤浩滋がおり、住吉一家の牧健作も御影時代からの友人とされる。
国際ギャング団時代=
戦前より神戸三宮を中心に愚連隊の旗頭として活動していた。
戦後になって三宮を中心に「国際ギャング団」として、朝鮮人、中国人、台湾人の一部と無法者一味と活動を共にするようになった。
主に闇市で用心棒を勤める一方、闇物資の倉庫管理などをシノギとしていたが、情報ミスから適正な物資を強奪して、検挙された際に一部台湾人が含まれていたことから、新聞紙上で「国際ギャング団」の異名が付けられるようになる。
1946年頃 ……
菅谷政雄が亡くなってから、42年と361日が経過しました。(15702日)