近衛十四郎(このえじゅうしろう)
俳優[日本]
1977年 5月24日 死去享年64歳
近衛 十四郎(このえ じゅうしろう、1914年4月10日 - 1977年5月24日)は、戦前から戦後にかけて活躍した時代劇俳優。
数多くの時代劇ファンを魅了する殺陣は「日本映画史上最も殺陣の上手い役者」「古今東西ナンバー1」と評される。
本名、目黒 寅彦(出生名は寅一、のち改名)。
新潟県長岡市出身。
来歴・人物=
戦前・戦中=
新潟県長岡市西新町で、父・目黒多七、母・ミカの長男として生まれる(姉と妹に挟まれた長男だが、実の長男は早世しており正確には次男)。
13歳で父を亡くし、その後は母によって育てられる。
長岡工業学校卒業後、映画俳優を目指し、1932年市川右太衛門プロダクションに研究生として入団する。
最初の芸名は長岡秀樹だった。
東亜キネマを経て、役者の腕ではなく野球の巧さ(ショートの守備は映画界でも白眉だったという)を買われて日活に引き抜かれ、『血煙り荒神山』でデビューした。
しかしもっぱら「鉄棒組(大勢で「御用!御用!」と連呼する「捕り手」集団の一人)」に甘んじていた。
1934年、長岡が20歳のとき、右太衛門プロから独立し枚方市に映画製作会社「亜細亜映画」を設立したばかりだった映画監督白井戦太郎に見出され、白井の勧めで近衛十四郎と改名。
4月には亜細亜映画第1回作品『叫ぶ荒神山』に主演。
吉良の仁吉役でデビューを飾り、続けて翌月には『曲斬り街道旅』でも主演を務める。
その後、亜細亜映画は第一映画社と改称、さら ……
近衛十四郎が亡くなってから、47年と181日が経過しました。(17348日)