本木荘二郎(もときそうじろう)
映画監督、脚本家、プロデューサー[日本]
1977年 5月21日 死去心不全享年64歳
本木 荘二郎(もとき そうじろう、1914年6月19日 - 1977年5月21日)は、日本の映画プロデューサー、映画監督、脚本家である。
独立し、映画監督を兼ねるようになってからの筆名に岸本 恵一(きしもと けいいち)、高木 丈夫(たかぎ たけお)、藤本 潤三(ふじもと じゅんぞう)、藤本 潤二 (ふじもと じゅんじ)品川照二、渋谷民三(しぶや たみぞう)等がある。
来歴=
生い立ち=
1914年(大正3年)6月19日、東京府東京市芝区新橋(現在の東京都港区新橋)の洋装品関係の商家に生まれる。
芝区立桜川小学校(旧制、のちの港区立桜川小学校、現在は合併して港区立御成門小学校)、東京府立第一中学校(旧制、現在の東京都立日比谷高等学校)、浦和高等学校 (旧制)の入試に失敗して早稲田第二高等学院(旧制、2年制・文科、現在の早稲田大学高等学院・中学部)、早稲田大学文学部仏文科(現在の同大学文学部文学科フランス語フランス文学コース)に学ぶ。
学生時代には学生運動をした。
大学卒業後の1938年、日本放送協会にアナウンサーとして入局したが、学生運動仲間で大学の先輩だった山本薩夫から東宝映画(現在の東宝)が助監督を募集をしていることを教えられ、受験を勧められる。
黒澤明のプロデューサー=
『野良犬』(1949年)の制作を記念して撮影された写真。
左から三船敏郎、志村喬、黒澤明、菊島隆三、本木荘二郎。
1938年(昭和13年)4月、東宝映画に入社、製作課に配属される。 ……
本木荘二郎が亡くなってから、47年と184日が経過しました。(17351日)