江川宇礼雄(えがわうれお)
俳優、映画監督[日本]
1970年 5月20日 死去享年69歳
江川 宇礼雄(えがわ うれお、1902年〈明治35年〉5月7日 - 1970年〈昭和45年〉5月20日)は、日本の俳優、映画監督、脚本家。
本名はウィリー・メラー(後に江川 ウレオ)。
愛称は「ウレシュウ」。
生涯=
生い立ち=
1902年(明治35年)、ドイツ極東艦隊海軍病院薬局長として来日したドイツ人のフリードリッヒ・ウィルヘルム・メラーと河内出身の日本女性ゑいの次男として神奈川県横浜市山下町(現在の同県同市中区同町)に生まれる。
幼い時に、両親が離婚。
父は長男を連れてドイツに帰国、母にひきとられた江川は本名を「ウィリー」から「ウレオ」に改名した。
1915年(大正4年)に神奈川師範附属小学校を卒業、同級生に青柳信雄、中田晴康(脚本家)、国木田虎雄、高橋英一がいた。
セント・ジョセフ・カレッジ普通科にすすむが、混血児であることから不当な差別を受けてぐれてしまい、その頃には横浜界隈では有名な不良少年となっていた。
大活入社=
第一次世界大戦の最中の1917年(大正6年)3月に「敵国ドイツ人の子供」ということで、放校処分になる。
正則中学に入学するも1919年に2学年で中退、横浜のチャブ屋街に住んでいた谷崎潤一郎宅に出入りし、同年9月に谷崎が文芸顧問をしていた大活に入社するが、谷崎の愛人で義妹の葉山三千子と駆け落ちする。
中河与一はのちに『続・探美の夜』(1958年)で二人のことを書いている(江川は実名、三千子は仮名)。
1920年9月に高輪中学 ……
江川宇礼雄が亡くなってから、54年と185日が経過しました。(19909日)