平沢貞通 氏(ひらさわさだみち)
テンペラ画家[日本]
(帝銀事件の犯人とされる)
1987年 5月10日 死去肺炎享年96歳
平沢 貞通(ひらさわ さだみち、1892年〈明治25年〉2月18日 - 1987年〈昭和62年〉5月10日)は、日本のテンペラ画家。
北海道小樽市出身(東京府生まれ)。
雅号は大暲(たいしょう)、後に光彩(こうさい)。
戦後の混乱期に発生した大量毒殺事件である帝銀事件の犯人として逮捕され、死刑が確定する。
だが刑の執行も釈放もされないまま、逮捕から死までの39年間を獄中で過ごした。
来歴・生涯=
大正期に石井柏亭が撮影した平沢の肖像。
前半生=
平沢は一流の画家であった。
二科展に3回、文展に16回、光風会には毎年入選し、「帝展無鑑査」(過去の輝かしい実績を評価され審査員の鑑査なしに無条件で出品できること)であった。
1892年2月18日、東京・大手町の帝国陸軍憲兵隊本部官舎で生まれる。
父は憲兵。
1896年、北海道の札幌憲兵隊に転勤した父とともに、北海道に移住。
1911年、日本水彩画研究所に入所。
1912年、旧制札幌中学校を経て、父の小樽への転勤に伴い(福島・中田・小木 2018,p.281)同小樽中学校卒業。
1913年、日本水彩画会結成に石井柏亭・磯部忠一らとともに参画。
1914年、二科展ができ平沢三味二(さみじ。
当時の雅号)名義で出品して入選。
これが機縁となり、横山大観の門を叩き、横山から「大暲」という雅号をもらう。
交友を深めた作家の有島武郎も、平沢への手紙の中で画家としての優れた才能を認めた。
1916年、結婚。
平沢は妻とのあいだに ……
平沢貞通さんが亡くなってから、37年と196日が経ちました。(13710日)