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武谷三男 氏(たけたにみつお)

理論物理学者[日本]

2000年 4月22日 死去享年90歳

武谷三男 - ウィキペディアより引用

武谷 三男(たけたに みつお、1911年(明治44年)10月2日 - 2000年(平成12年)4月22日)は、日本の理論物理学者。
理学博士。
三段階論、技術論で知られる。
経歴= 福岡県生まれ。
台北高等学校を経て、京都帝国大学理学部を卒業後、湯川秀樹、坂田昌一の共同研究者として、原子核・素粒子論の研究を進めた。
その一方、中井正一、久野収らと共に、反ファシズムを標榜する雑誌『世界文化』『土曜日』に参加するなどしたため、2度にわたって検挙された。
戦時下には理化学研究所を中心とする原子爆弾の開発(ニ号研究)にも関わっていた。
1943年にロシア人医師ピニロピ(バルチック艦隊艦長の孫。
後に武谷病院を開設)と結婚。
終戦後は、鶴見俊輔らと『思想の科学』を創刊。
創刊号の巻頭論文「哲学はいかにして有効さをとりもどし得るか」を著す。
その後、思想の科学研究会メンバーとして、科学史、技術論などの分野で論文を多く発表した。
原子力問題でも積極的に発言し、アメリカの水爆実験を批判し、その一方で社会主義国による核保有を肯定した。
広島や長崎への原爆投下については「反ファッショ」の「人道的行為」としてこれを礼賛した。
安全性に関する理論は公害反対運動などにも大きな影響を与えた。
1953年から1969年まで立教大学理学部教授を務めた。
1954年にはに原子力に関する日本初の教科書と言われる『教養の科学原子力』を共同執筆、立教大学への原子 ……

武谷三男さんが亡くなってから、24年と213日が経ちました。(8979日)

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