大河内正敏(おおこうちまさとし)
物理学者[日本]
1952年 8月29日 死去脳梗塞享年75歳
大河内 正敏(おおこうち まさとし、1878年(明治11年)12月6日 - 1952年(昭和27年)8月29日)は、日本の物理学者、実業家。
東京府出身。
子爵。
理化学研究所(理研)の3代目所長、貴族院議員。
身長は180cmと長身だった。
妻は大河内信古の娘で、婿養子となった。
息子は大河内信定、大河内信敬。
孫の一人に女優の河内桃子がいる。
無名時代の田中角栄を引き立てたことでも知られる。
来歴・人物=
旧上総大多喜藩主で、子爵大河内正質の長男として東京浜松町に生まれた。
のち旧三河吉田藩の子爵大河内家(江戸時代前期に活躍し、「知恵伊豆」と呼ばれた老中松平伊豆守信綱の子孫の家系で、大多喜藩主家の遠縁)の養子となり、最後の藩主・大河内信古の娘を妻に迎える。
学習院初等科時代は、後の大正天皇の御学友であった。
同中等科、第一高等中学校を経て、東京帝国大学工科大学造兵学科に入学。
在学時代は特待生であり、1903年(明治36年)、東京帝大を首席卒業した際には恩賜の銀時計の授与を受けた。
卒業後はそのまま帝大講師となり、その後、私費でヨーロッパに留学し、1911年(明治44年) の帰国後は東京帝大教授に就任する。
この頃、寺田寅彦と共同で飛行弾丸の流体的な実験を行う。
1914年(大正3年)、工学博士となる。
翌年、貴族院子爵議員補欠選挙で初当選、1918年(大正7年)原内閣の海軍省政務次官を務める。
1921年(大正10年)9月30日、山川健次郎 ……
大河内正敏が亡くなってから、72年と40日が経過しました。(26338日)