ロバート・オッペンハイマーJulius Robert Oppenheimer
物理学者[アメリカ]
1967年 2月18日 死去享年64歳

J・ロバート・オッペンハイマー(Julius Robert Oppenheimer、1904年4月22日 - 1967年2月18日)は、アメリカ合衆国の理論物理学者。
理論物理学の広範囲な領域にわたって大きな業績を上げた。
特に第二次世界大戦中のロスアラモス国立研究所の初代所長としてマンハッタン計画を主導し、卓抜なリーダーシップで原子爆弾開発の指導者的役割を果たしたため、「原爆の父」として知られる。
戦後はアメリカの水爆開発に反対したことなどから公職追放された。
1960年9月に初訪日して東京都・大阪府・京都府を訪れている。
経歴=
生い立ち=
1904年4月22日、ドイツからのユダヤ系移民の子としてニューヨークで生まれた。
父はドイツで生まれ、17歳でアメリカに渡ったジュリアス、母はアシュケナジムの画家エラ・フリードマンである。
弟のフランク・オッペンハイマーも後に物理学者となる。
ロバートの次にルイスという男児がいたが、生後間もなく死亡した。
名前の先頭にある「J」は、ジュリアスが自身のイニシャルをつけたとされる。
後年、ロバートは、このイニシャルの由来を聞かれ、特に意味は無いと答えている。
オッペンハイマー家はユダヤ人であったが、ユダヤ教への信仰はなかった。
1911年9月、倫理文化学園に入学する。
オッペンハイマーは、鉱石の標本を父方の祖父から貰い、7歳から12歳までは鉱物の標本に夢中になり、12歳の時には、ニューヨーク鉱物クラブの会員の前で論文を発表し ……
ロバート・オッペンハイマーが亡くなってから、58年と61日が経過しました。(21246日)