西竹一(にしたけいち)
陸軍大佐、男爵[日本]
(ロサンゼルス五輪馬術金メダリスト、「バロン西」)
1945年 3月22日 死去戦死享年43歳
西 竹一(にし たけいち、1902年〈明治35年〉7月12日 - 1945年〈昭和20年〉3月22日)は、日本の陸軍軍人、華族。
最終階級は陸軍大佐。
爵位は男爵。
愛称はバロン西(Baron Nishi)。
1932年ロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技の金メダリスト。
この金メダルは、2024年パリオリンピックの総合馬術団体で日本代表が銅メダルを獲得するまで、馬術競技で日本が獲得した唯一のメダルであり、金メダルとしては2024年現在もなお唯一の獲得例である。
帝国陸軍将校として騎兵畑を歩んでいたが、後に戦車兵に転科し、第二次世界大戦末期の硫黄島の戦いにおいて、戦車第26連隊長として戦死した。
経歴=
生い立ち=
男爵・西徳二郎の三男として東京市麻布区麻布笄町(現在の港区西麻布。
住居は麻布桜田町付近)にて生まれた。
正妻でない母は、出産後、家を出された。
父は外務大臣や枢密顧問官などを歴任し、駐清公使時代には義和団の乱処理に当たった人物であった。
義和団の乱の処理の際、清の西太后から中国茶の専売権を与えられ、巨万の富を手にしたといわれている。
男爵叙爵=
学習院幼稚園を経て、学習院初等科時代は近隣の番町小の生徒と喧嘩を繰り返す暴れん坊であった。
1912年(明治45年)には徳二郎が死去し、同年3月30日、その跡を継ぎ当主として男爵となる。
後見人は西伊佐次。
妻となる武子の祖父は川村純義海軍大将、父は伯爵・川村鉄太郎であり、武子の長姉・艶子 ……
西竹一が亡くなってから、79年と223日が経過しました。(29078日)