曽宮一念 氏(そみやいちねん)
洋画家、随筆家[日本]
1994年 12月21日 死去心不全享年101歳
曾宮 一念(そみや いちねん、Somiya Ichinen 1893年9月9日 - 1994年12月21日)は、日本の洋画家、随筆家、歌人。
略歴=
東京市日本橋区漬町(現中央区日本橋浜町)に生まれた。
本名は下田 喜七(しもだ きしち)。
大下藤次郎、藤島武二、黒田清輝に指導を受ける。
東京美術学校卒業後は山下新太郎に師事し、中村彝に兄事する。
1914年、文展で褒状、1925年、二科展で樗牛賞を受賞、二科会、独立美術協会所属ののち1946年に国画会会員となる。
1945年に度々作品の題材を得ていた静岡県富士宮市に移住して以降、同地で過ごした。
1965年、視力障害のため国画会を退く。
1971年、両眼失明のため画家を廃業。
以降文筆や書、へなぶり(狂歌)をはじめる。
「平野夕映え」「裾野の雲」などの風景画で知られる。
文筆にも優れ、1959年に『海辺の熔岩』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。
年譜=
長男俊一 (1921年3月21日 - 1945年3月25日) による油彩画 (「風景」無言館蔵)
同上 (「風景」無言館蔵)
※『曽宮一念略年譜』(江崎晴城編)による。
1893年(明治26年) 東京日本橋区浜町翁堂にて誕生。
父・下田喜平、母・きみ
1894年(明治27年) 郵便報知新聞社、新聞用達会社の編集長などをつとめた曽宮禄祐・和歌の養子となる
1898年(明治31年) 日本橋区阪本幼稚園に入園
1899年(明治32年) 霊岸島小学校に入学。
内木先生よりはじめて図画の写生法を知る
1904年(明治37年) 芝区神明町に転居。
桜川小学校 ……
曽宮一念さんが亡くなってから、29年と336日が経ちました。(10928日)