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坂本繁二郎(さかもとはんじろう)

画家[日本]

1969年 7月14日 死去享年88歳

坂本繁二郎 - ウィキペディアより引用

坂本 繁二郎(さかもと はんじろう、 1882年3月2日 - 1969年7月14日)は、明治後期~昭和期の洋画家である。
来歴= 1882年(明治15年)、福岡県久留米市に生まれる。
同じ年、同じ久留米に生まれた画家として青木繁がいる。
坂本は10歳になると、地元久留米在住の画家・森三美に師事して絵を学んだ。
高等小学校に上がる頃には、絵の腕前は相当なもので、「神童」と持てはやされたという。
坂本の父・金三郎は久留米藩の中級武士であったが、坂本が4歳の時に死去していた。
金三郎の長男で、やがて家長となるべき長兄・麟太郎が京都の第三高等学校に進学したため、二男の繁二郎は進学をあきらめざるをえず、高等小学校卒業後、5年ほどはもっぱら画作に時を過ごした。
代用教員時代(20歳) 前述の森三美は久留米高等小学校の図画教師をしていたが、他校へ転任するにあたり坂本を自分の後任として指名した。
その結果、坂本は1900年(明治33年)、母校の図画代用教員となった。
その頃、ライバルの青木繁は東京で絵の勉強をしていたが、1902年(明治35年)、徴兵検査のため、郷里に戻ってきた。
青木は坂本に東京で描いた絵を見せたが、この時青木の画技の上達に驚いた坂本は自らも上京して絵を学ぶことを決意し、わずか数か月後には青木とともに上京して、小山正太郎の「不同舎」に入った。
坂本の満20歳の時であった。
1907年(明治40年)、『北茂安村』が第1回文展に入選している。 ……

坂本繁二郎が亡くなってから、55年と130日が経過しました。(20219日)

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