高橋松亭(たかはししょうてい)
浮世絵師、版画家[日本]
1945年 2月11日 死去肺炎享年76歳
高橋 松亭(たかはし しょうてい、明治4年1月2日(1871年2月20日) - 昭和20年(1945年)2月11日)は、明治時代から昭和時代の浮世絵師、版画家。
来歴=
『葛飾』
「都南八景の内」より『 品川』
松本楓湖の門人。
本姓は松本、後に高橋、俗称勝太郎(かつたろう)。
高橋松亭、弘明、佳恵と号す。
明治4年、浅草向柳原(現・台東区浅草橋)に生まれている。
父は松本正泰。
松本楓湖は正泰の兄、勝太郎の伯父にあたる。
9歳頃から、浅草永久町に住んでいた楓湖に師事し、絵手本を見ながら日本画を学んだ。
時期は不明であるが、後に高橋家の養子となった。
下谷車坂町に転居し、15、6歳頃であった明治20年(1887年)頃より宮内省外事課に勤めて、外国の勲章の写し、役人の通常服などをデザインする仕事に携わっている。
同僚に福井江亭、池田琴峯、三島蕉窓、高橋玉淵などがいた。
この頃の通勤は往復徒歩のため、車坂から赤坂離宮まで、その道程は3里位あり、雨天の時は高足駄で行くと鼻緒が切れ、素足で入ると門衛に咎められたことがあったといわれる。
明治24年(1891年)、岡倉覚三(天心)を会頭に、寺崎広業、尾形月耕、邨田丹陵、小堀鞆音、富岡永洗らとともに日本青年絵画協会を結成する。
また、岡倉創設の「互評会」にも横山大観、下村観山、菱田春草らとともに参加し、さらに、上野の伊予紋に文士、画家が会合するという二十日会にも入会していた。
この会では文士が ……
高橋松亭が亡くなってから、79年と283日が経過しました。(29138日)