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稲盛和夫 氏(いなもりかずお)

経営者、京セラ・第二電電<現・KDDI> 創業者[日本]

2022年 8月24日 死去老衰享年91歳

稲盛和夫 - ウィキペディアより引用

稲盛 和夫(いなもり かずお、1932年〈昭和7年〉1月21日 - 2022年〈令和4年〉8月24日)は、日本の実業家、技術者。
京セラ・第二電電(現・KDDI)創業者。
公益財団法人稲盛財団理事長。
「盛和塾」塾長。
日本航空名誉会長。
妻の朝子は、禹長春の四女である。
人物・来歴= 1932年(昭和7年)、鹿児島県鹿児島市薬師町に7人兄弟の次男として生まれる。
父の畩市は「稲盛調進堂」という名で印刷工場を経営していた。
西田尋常高等小学校(現在の鹿児島市立西田小学校)を卒業し、私立鹿児島中学校(旧制、現在の鹿児島高等学校)へ進む。
銀行就職を考えたが周囲の勧めで、旧制鹿児島中学校から新制鹿児島市高等学校第三部に進学。
1950年に鹿児島市高等学校第一部と第三部の普通科が統合されて鹿児島県玉龍高等学校(市立)となったため、翌年3月に同校の第一期生として卒業する。
大阪大学医学部薬学科の受験に失敗し、当時は新設大学であった鹿児島県立大学(後年鹿児島大学に統合)の工学部応用化学科で、有機化学を専攻した。
1955年(昭和30年)、鹿児島県立大学工学部を卒業。
当時は就職難であり、旧帝大卒でも苦労するほどの就職難であり、新設大学の卒業生は相手にされなかった。
そこで専攻を無機化学に変更し、教授の紹介でがいしメーカーの松風工業(歯科器材の松風とは創業者が同じ別会社)に入社した。
会社は労働争議でひどい状況であったが、担当になった磁 ……

稲盛和夫さんが亡くなってから、2年と89日が経ちました。(820日)