穂積重遠(ほづみしげとお)
法学者、元最高裁判事、男爵[日本]
(東京帝国大学教授・民法)
1951年 7月29日 死去享年69歳
穂積 重遠(ほづみ しげとお、1883年(明治16年)4月11日 - 1951年(昭和26年)7月29日)は、日本の法学者。
専門は民法。
東京府出身。
東京帝国大学教授・法学部長、最高裁判所判事を歴任し、「日本家族法の父」といわれる。
東宮大夫兼東宮侍従長。
男爵。
勲一等旭日大綬章。
穂積陳重の長男、渋沢栄一の初孫。
実業家、政治家の渋沢敬三と政治家の阪谷希一は母方の従兄弟にあたる。
岡田朝太郎に師事。
弟子に中川善之助、来栖三郎など。
人物=
父の穂積陳重。
1883年4月11日 、穂積陳重の長男として東京に生まれる。
母は渋沢栄一の娘、歌子。
栄一にとっては初孫となる。
妻は児玉源太郎の三女、ナカ。
西洋史学者で大東文化大学長を務めた穂積重行は長男、国文学者の岩佐美代子は娘。
娘・和歌子の夫は八十島義之助。
1951年7月29日、満68歳(享年69)で死去。
少年時代=
祖父・渋沢栄一。
子供時代、祖父の渋沢栄一の影響で論語に興味を覚えた。
後にそれに関する著書もある。
大学時代に宇野哲人が家庭教師であったが、家庭的論語講義をしたという。
東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)、同附属中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)時代は、鳩山秀夫や杉村陽太郎と親しかった。
成績も優秀であったが、柔道に熱心であり、寒稽古に欠かさず出席した。
音楽にも興味があった。
一高時代には校歌を作詞し、その「都の ……
穂積重遠が亡くなってから、73年と132日が経過しました。(26795日)