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穂積八束(ほづみやつか)

法学者[日本]

1912年 10月5日 死去心臓麻痺享年53歳

穂積八束 - ウィキペディアより引用

穂積 八束 (ほづみ やつか、1860年3月20日〈安政7年2月28日〉 - 1912年〈大正元年〉10月5日)は、日本の法学者。
東京帝国大学法科大学長。
貴族院議員。
法典調査会査定委員。
人物= 伊予宇和島藩士の穂積家に生まれる。
鈴木(穂積)重樹の三男。
長兄の穂積重頴は第二十国立銀行頭取。
東京帝国大学法学部教授、民法起草者の一人である穂積陳重は次兄。
正三位勲一等。
前妻は伊達宗城家令・西園寺公成の長女さと(早世)、後妻は浅野総一郎(初代)(浅野財閥創始者)の長女まつ。
民法典論争に際し発表した論文『民法出デテ忠孝亡ブ』で非常に有名だが、本文中に登場する文言ではなく、穂積陳重によると題名は江木衷の発案。
内容貧弱な小論文であり、印象的なキャッチコピーが後世に与えたインパクトが強かったに過ぎず、八束が延期派の代表として旧民法を延期に追い込んだというのは俗説だという主張もある。
従来は保守頑迷の典型のように扱われることが多かったが、前後に発表された論文からは彼なりの西洋文明摂取の姿勢が指摘される。
特に自由主義・個人主義の原則を認めた上で、経済的自由主義の行き過ぎを批判し、国家の介入による適切な修正を主張したことは正鵠を得ているとして再評価が進んでいる。
オーストリアの講壇社会主義者アントン・メンガーによるドイツ民法第一草案批判と類似しており、強い影響を受けた可能性が高い。
結果的に八束の主張は明 ……

穂積八束が亡くなってから、112年と47日が経過しました。(40955日)