穂積八束(ほづみやつか)
法学者[日本]
1912年 10月5日 死去心臓麻痺享年53歳

穂積 八束(ほづみ やつか、1860年3月20日〈安政7年2月28日〉 - 1912年〈大正元年〉10月5日)は、日本の法学者。
東京帝国大学法科大学長。
貴族院議員。
法典調査会査定委員。
人物=
伊予宇和島藩士の穂積家に生まれる。
鈴木(穂積)重樹の三男。
長兄の穂積重頴は第二十国立銀行頭取。
東京帝国大学法学部教授、民法起草者の一人である穂積陳重は次兄。
正三位勲一等。
前妻は伊達宗城家令・西園寺公成の長女さと(早世)、後妻は浅野総一郎(初代)(浅野財閥創始者)の長女まつ。
民法典論争に際し発表した論文『民法出デテ忠孝亡ブ』で非常に有名だが、本文中に登場する文言ではなく、穂積陳重によると題名は江木衷の発案。
具体的な条文の検討に及ばない内容貧弱な小論文に過ぎず、したがって明治23年の旧民法にはほとんど欠点は無かったと主張されることもあるが、ほかの延期論者は詳細な検討をしているため、八束はむしろ「延期派の中でも特異な立場」とする主張や、同論文は印象的なキャッチコピーが後世に与えたインパクトが強かったに過ぎず、八束が延期派の代表として旧民法を延期に追い込んだというのは俗説だという主張もある。
また従来は保守頑迷の典型のように扱われることが多かったが、前後に発表された論文からは彼なりの西洋文明摂取の姿勢が指摘される。
こと財産法論に関する限り、自由主義・個人主義の原則を認めた上で、経済的自由主義の行き過 ……
穂積八束が亡くなってから、112年と178日が経過しました。(41086日)