長谷川正安 氏(はせがわまさやす)
法学者[日本]
(名古屋大学名誉教授)
2009年 8月13日 死去心不全享年87歳
長谷川 正安(はせがわ まさやす、1923年1月24日 - 2009年8月13日)は、日本の法学者(憲法・フランス近代憲法)。
名古屋大学名誉教授。
日本科学者会議代表幹事、原水爆禁止日本協議会理事長、世界科学者連盟副会長等を歴任した。
田上穣治門下。
人物=
1923年茨城県土浦市で、4人兄弟の末っ子として生まれる。
関東大震災後に品川区武蔵小山の長屋に家族で移住。
1943年徴兵。
1945年乗船中の輸送船が機雷により大破、舞鶴のドックで終戦を迎える。
この戦争体験から日本軍に反感を持ち、軍隊、組織嫌いとなり、企業就職を拒否し、研究者の道を歩むことを決意するようになる。
1946年(昭和21年)東京商科大学(現一橋大学)卒業後、1949年同窓の酒井正兵衛学部長の下、26歳で新設の名古屋大学法経学部助教授に就任。
1956年に名古屋大学法学部教授に就任すると、独自の法理論、特に主権論における日本国憲法第9条の問題に対して独自の理論を展開した。
「真の意味での独立主権国家でしか自衛力は保持はできない」とする自説をもち、戦後憲法学の一翼を担った。
議会解散権についても「衆議院は国民に信を問うため『自覚的解散権』を持つ」とするなど、国民主権論についても独自の理論を持っていた。
日本共産党系の憲法研究者として、政治運動にも積極的で、世界科学者連盟副会長(1990年 - 2000年)、原水爆禁止日本協議会理事長、憲法改悪阻止各界連絡会議代表委員、愛知憲法会議 ……
長谷川正安さんが亡くなってから、15年と100日が経ちました。(5579日)