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信松尼(しんしょうに)

武田信玄の五女[日本]

(元和2年4月16日没)

1616年 5月31日 死去享年56歳

信松尼(しんしょうに、永禄4年(1561年) - 元和2年4月16日(1616年5月31日))は、戦国時代から江戸時代初期にかけての女性。
甲斐国の戦国大名である武田信玄の四女(諸説あり)。
出家前の名は松姫(まつひめ)。
母は側室の油川夫人。
同母の兄弟姉妹には仁科盛信(五郎)、葛山信貞、真理姫(木曾義昌室・母は三条の方とも)、菊姫(上杉景勝室)らがいる。
生涯[編集] 誕生[編集] 甲斐の生まれ。
初見史料は永禄8年(1565年)5月で、信玄が富士浅間大菩薩(冨士御室浅間神社)に対し息女の病気平癒を願った願文が見られ、これが松姫ではないかといわれる(姉の黄梅院であった可能性もある)。
願文は原本が富士吉田市の御師家に、写しが同市北口本宮冨士浅間神社に伝わる。
原本は富士吉田市歴史民俗博物館が所蔵。
織田信忠との婚約成立[編集] 永禄年間に武田氏は尾張国の織田氏と接し、信玄の世子・勝頼の正室には織田信長養女遠山氏の娘(龍勝院)を迎えていたが、『甲陽軍鑑』に拠れば、永禄10年(1567年)11月に勝頼正室は死去し、同年12月には武田・織田同盟の補強として、7歳の松姫と信長の嫡男・織田信忠(11歳)との婚約が成立する。
なお、武田家において形式上は「信忠正室を預かる」として扱かわれ、新館御料人と呼ばれた。
織田信忠との婚約解消[編集] 元亀3年(1572年)、信玄が三河・遠江方面への大規模な侵攻である西上作戦を開始すると、織田氏の同盟国である ……

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信松尼が亡くなってから、408年と54日が経過しました。(149076日)