小山田信茂(おやまだのぶしげ)
戦国武将[日本]
(天正10年3月24日没)
(ユリウス暦) 1582年 4月16日 死去処刑
小山田 信茂(おやまだ のぶしげ)は、戦国時代の武将。
甲斐武田氏の家臣で譜代家老衆。
甲斐東部郡内領の国衆。
武田二十四将の一人に数えられる。
生涯=
出生から家督相続=
大善寺本堂
郡内地方の国衆・小山田氏当主・小山田出羽守信有の次男として生まれる。
小山田氏は坂東八平氏の一流・秩父氏の血を引くとされるが、異説もある。
祖母が武田信縄の娘かつ信虎の妹で、信玄の従甥に当たる。
小山田信茂の出自は不明瞭な点がある。
天文24年9月5日付「柏尾山造営記写」に拠れば、天文19年(1550年)3月中旬に父・出羽守信有は、柏尾山大善寺(甲州市勝沼町)へ参詣した際に鶴千代丸・藤乙丸の二子を連れ、両人とも「12歳」としている。
「鶴千代丸」は「惣領(長男)」と記されているため弥三郎信有に、「藤乙丸」は信茂に、比定される。
両人とも天文8年(1539年)の出生と考えられるが、弥三郎信有は永禄5年(1562年)5月の願文で自身の年齢を「廿三」と記しているため生年は天文9年で、信茂は弥三郎信有の庶兄とも考えられている。
『甲斐国志』でも天正10年(1582年)に「小山田信茂は43歳死去」としており、天文9年出生となる。
なお、このほかに『甲陽軍鑑末書』では永禄12年(1569年)時点で27歳とし、天文12年出生とする説もある。
天文21年(1552年)正月には父の出羽守信有が病死し、後は兄の弥三郎信有が家督を継ぐ。
従来、弥三郎信有と信茂は同一人物とされてい ……