時雨音羽 氏(しぐれおとわ)
作詞家[日本]
1980年 7月25日 死去享年82歳
時雨 音羽(しぐれ おとは、1899年(明治32年)3月19日 - 1980年(昭和55年)7月25日)は、昭和期の作詞家。
出生時の戸籍上の名前は池野 音吉(いけの おときち)であるが、1961年(昭和36年)に筆名を本名に改名したため、没年時の本名も時雨音羽である。
経歴=
北海道利尻島沓形村番外地出身。
5人兄弟の末っ子として生まれる。
父邦蔵は、新潟県佐渡郡の出身。
新湊小学校、沓形小学校高等科卒業。
1916年(大正5年)沓形村役場に附属員として勤めていたが、1918年(大正7年)秋頃上京する。
日本大学法科に検定で合格し、1923年(大正12年)卒業後、大蔵省主税局織物課に勤めた。
1925年(大正14年)、新大衆誌『キング』9月号に講談社の依頼で民謡詩「朝日をあびて(後の出船の港)」を掲載。
この詩は、中山晋平が作曲し藤原義江が歌ってヒットした。
翌1926年(大正15年)3月には、『キング』3月号に民謡詩「金扇(後の鉾をおさめて)」を掲載。
この詩も中山、藤原のコンビによって歌われた。
1928年(昭和3年)創設されたばかりのビクターレコードに文芸顧問として入社。
「君恋し」、「浪花小唄」とヒット曲を書き、レコード界草創期の流行歌作詞家となった。
また童謡、唱歌も作り、1942年(昭和17年)には、平井康三郎作曲で、小学校のための文部省唱歌となった「スキー」を作詞している。
一方で、演劇界にも活動の場を広げて、1927年(昭和2年)には、二代目市川猿之助の歌舞 ……
時雨音羽が亡くなってから、44年と119日が経過しました。(16190日)