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小松耕輔(こまつこうすけ)

作曲家、教育家[日本]

1966年 2月3日 死去享年83歳

小松耕輔 - ウィキペディアより引用

小松 耕輔(こまつ こうすけ、1884年〈明治17年〉12月14日 - 1966年〈昭和41年〉2月3日)は、明治 - 昭和期の日本の作曲家・教育家・評論家。
秋田県由利郡舘合村(後の玉米村、現在の由利本荘市)生まれ。
東京音楽学校卒業。
号は玉巌(ぎょくがん)。
経歴= 1901年に上京して東京音楽学校選科に入学。
1903年に同校本科に進み、ヴァイオリンを幸田延、ピアノと作曲をヘルマン・ハイドリヒ、和声法をノエル・ペリーに師事。
1906年に東京キリスト教青年会会館で歌劇「羽衣」を初演。
同年、同校を卒業し、研究科でアウグスト・ユンケルに声楽を師事。
学習院講師。
1920年に渡仏。
パリ音楽院の聴講生として、シャルル=マリー・ヴィドール、ポール・フォーシェ、ポール・ヴィダル、ヴァンサン・ダンディに作曲を師事した。
1923年に帰国。
1927年、国民音楽協会を設立し、日本で初めて合唱コンクールを開催するなど、合唱を中心とする社会音楽の普及に尽力した。
1928年には日本作曲者協会を設立し、理事長に就任。
また、学習院大学、東京女子高等師範学校・お茶の水女子大学教授、日本大学教授、東邦音楽短期大学教授、東洋音楽短期大学講師などを歴任するとともに、大日本音楽著作権協会(現在のJASRAC)理事として著作権擁護に尽力した。
1958年、紫綬褒章受賞。
1966年、勲四等旭日小綬章。
作曲家としては「母」「芭蕉」など、歌曲を中心に手がけ、森鷗外の詩「沙羅の木 ……

小松耕輔が亡くなってから、58年と303日が経過しました。(21488日)