清河八郎(きよかわはちろう)
幕末の志士[日本]
(文久3年4月13日没)
1863年 5月30日 死去斬殺享年34歳
清河 八郎(きよかわ はちろう、文政13年10月10日(1830年11月24日) - 文久3年4月13日(1863年5月30日))は、江戸時代末期(幕末)の庄内藩出身の志士。
田中河内介とともに九州遊説をして尊王攘夷派の志士を京都に呼び寄せ、一方で浪士組を結成し新選組・新徴組への流れを作り、自らも虎尾の会を率いて明治維新の火付け役となった。
幼名は元司、諱は正明、号は旦起、木鶏。
本名は齋藤正明で、清川八郎と改名したのち、清河八郎を名乗った。
山形県庄内町の清河神社に祭神として祀られている。
位階は贈正四位。
関連作品
-
品名 清河八郎遺著 (1976年) (続日本史籍協会叢書)
販売者 東京大学出版会発売日 新品価格 ¥3,000 [¥3,600 (55%) off]中古商品 ¥3,000より -
タイトル 西遊草 (岩波文庫 青 462-1)
種別 文庫著者 - 清河八郎
- 小山松勝一郎
出版社 岩波書店ページ数 発売日 新品価格 ¥49中古商品 ¥49より
清河八郎が亡くなってから、160年と331日が経過しました。(58771日)