井伊直盛(いいなおもり)
戦国武将[日本]
(永禄3年5月19日没)
(ユリウス暦) 1560年 6月12日 死去討死享年55歳
井伊 直盛(いい なおもり)は、戦国時代の武将。
遠江国引佐郡井伊谷城(現在の静岡県浜松市浜名区引佐町井伊谷)城主・井伊直宗の子。
井伊直平の孫。
女領主となった井伊直虎の父。
『井伊年譜』などでは「井伊直平の娘が築山殿を生んだ」と記されており、その場合、直盛と築山殿は従兄妹同士となる。
略歴=
井伊氏は遠江の国人。
明応3年(1494年)、駿河国守護・今川氏親が遠江へ進出すると、井伊氏は遠江守護・斯波氏や大河内氏と結託して対抗した。
この争いは明応、文亀、永正と断続的に続き、永正10年(1513年)、今川氏が遠江国を支配下におさめると、井伊氏の一員である井伊直平が今川配下に入り、井伊谷周辺に勢力を持つことになった。
直盛は35歳または55歳で死去したという二つの説があるが、祖父の直平が永禄6年(1563年)に75歳または85歳で死去していることから見て、その孫が永禄3年時点で55歳ということは考えにくいため、35歳で死去、つまり大永6年(1526年)生まれと考えられる。
しかし、娘の直虎の生年が、前述の天文5年(1536年)前後と推測される場合は、大永6年(1526年)生まれでは、直盛が11歳前後に直虎が誕生したことになるので、年齢的に早熟であるため、直盛の生年は不明である。
直盛の主君である今川義元は、亡父・氏親の頃に支配を確立した駿河・遠江の二ヶ国に加えて、新たに三河国を傘下に治めて今川氏最大の版図を築き、さらに永禄3年(1560年)に ……