芸能人・経営者のおくやみ情報

井伊直虎(いいなおとら)

戦国時代の女性領主[日本]

(天正10年8月26日没)

(ユリウス暦) 1582年 9月12日 死去

井伊直虎 - ウィキペディアより引用

井伊 直虎(いい なおとら)は、戦国時代後期の遠江井伊谷の領主。
「直虎」という署名のある文書は一通しか存在しないが、通説では、江戸時代中期に作成された『井伊家伝記』において、女性ながら井伊家当主になったとされる井伊直盛の娘・次郎法師(じろうほうし)と同一人物とされる。
次郎法師は井伊直親と婚約したが生涯未婚で、直親の遺児で後の徳川四天王・井伊直政の養母になったといわれる。
なお、通説は上記の通りだが、直虎の出自や性別、直虎と次郎法師が同一人物か否かについては歴史家・研究者によって意見が分かれている(#「直虎」と「次郎法師」との関係に関する議論参照)。
経歴= 史料上の次郎法師・直虎= 井伊氏は、遠江国引佐郡井伊谷を本拠とする国人(国衆)で、16世紀前半には今川氏に従属していた。
永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いにおいて今川軍に加わる井伊氏当主の直盛が戦死。
その跡を養子の直親が継いだとされるが、永禄5年(1562年)12月、直親は家老の小野但馬守(道好または政次)の讒言によって今川氏真に謀反の疑いを持たれ、その申し開きに向かう途中で殺害されたという(なお、直親が家督を継いだという話は事実ではないともされる)。
この後、永禄8年(1565年)9月15日付で、井伊氏の菩提寺である龍潭寺に対して寄進状が出されており、差出人として「次郎法師」の署名がある。
龍潭寺の寺領を確認する内容のもので、署名の下には黒印が ……

推定関連画像