井伊直虎(いいなおとら)
戦国時代の女性領主[日本]
(天正10年8月26日没)
(ユリウス暦) 1582年 9月12日 死去
井伊 直虎(いい なおとら)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての遠江井伊谷の領主。
「井伊直虎」という名の人物についての同時代史料は一通の書状しか存在しないが、通説では江戸時代中期の享保15年(1730年)に書かれた井伊氏の家伝『井伊家伝記』において、女性ながら井伊家当主になったと記載された井伊直盛の娘・次郎法師(じろうほうし)と同一人物とされる。
次郎法師は井伊直親と婚約したといわれるが生涯未婚で、直親の遺児で後の徳川四天王・井伊直政の養母と伝わる。
なお通説は上記の通りだが、直虎の出自や、直虎と次郎法師が同一人物か否かについては歴史家・研究者によって意見が分かれている(#「直虎」と「次郎法師」との関係に関する議論参照)。
次郎法師と井伊氏=
次郎法師は遠江井伊谷城主(国人)の井伊直盛の娘として誕生。
母は新野親矩の妹・祐椿尼。
生年は定かではないが、天文5年(1536年)前後に誕生したのではないかとする説がある。
幼名・俗名は不明。
父・直盛に男子がおらず、直盛の従兄弟にあたる井伊直親を婿養子に迎える予定であった。
天文13年(1544年)、今川氏与力の小野政直の讒言により、直親の父・井伊直満が弟の直義と共に今川義元への謀反の疑いをかけられて自害させられ、直親も井伊家の領地から脱出して武田領の信濃に逃亡した。
井伊家では直親の命を守るため、所在も生死も秘密となっていた。
許嫁であった直虎は龍泰 ……