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井伊直親(いいなおちか)

戦国武将[日本]

(永禄5年12月14日没)

(ユリウス暦) 1563年 1月8日 死去享年29歳

井伊 直親(いい なおちか)は、戦国時代の武将。
今川氏の家臣。
遠江国の国人・井伊氏19代当主。
生涯= 天文5年(1536年)、井伊直満の子として誕生。
天文13年(1544年)、小野政直の讒言によって父・直満を今川義元に誅殺されると、更なる誅殺対象になりかねない幼少の直親は家臣に連れられ、井伊谷を出奔。
祖父・直平から龍潭寺の住持に招聘された文叔瑞郁禅師の縁を頼って、武田領であった信濃国伊那郡松源寺へ落ち延びた。
一説によると、信濃では塩澤氏の娘との間に高瀬姫と吉直の1男1女を儲けたとされる。
弘治元年(1555年)に井伊谷への帰参が叶うと、祝田(静岡県浜松市北区細江町)を拠点とし、奥山朝利の娘・ひよを娶る。
永禄3年(1560年)、従兄であり養父・直盛が桶狭間の戦いで戦死したため、家督を継ぐ。
しかし当時の遠江は「遠州錯乱」と呼ばれる混乱状態にあり、直親は小野政直の子・道好(政次)の讒言により、主君・今川氏真から松平元康(のちの徳川家康)との内通の疑いを受ける。
縁戚であった新野親矩の取りなしで、陳謝のために駿府へ向かう道中の永禄5年12月14日(1563年1月8日)または同年3月2日、掛川で今川家の重臣・朝比奈泰朝の襲撃を受けて殺害された。
享年28。
直親殺害の背景には、支配領域が三河に近い井伊氏の中で、親今川派と反今川派で政治的な対立があり、直親が反今川派で元康に接近して、小野が親今川派であったのかもしれないと ……