小野道好(おのみちよし)
戦国武将[日本]
(ユリウス暦) 1569年 5月3日 死去処刑
小野 道好(おの みちよし)は、戦国時代の武将。
遠江国引佐郡井伊谷の国人・井伊家に家老として仕えた。
名は小野 政次(おの まさつぐ)とも伝わる。
生涯=
遠江国引佐郡井伊谷を治める井伊直盛の家老を務めた小野政直の嫡男として誕生した。
天文23年(1554年)、父が病死するとその家督を継承する。
父・政直は井伊一門である井伊直満(直盛の叔父)らと対立し、これを謀殺するなど井伊家の脅威であった。
政直の死後、信濃国へ亡命していた直満の子・直親が帰郷し、直盛の養嗣子の座に収まっている。
永禄3年(1560年)5月、井伊家は主家にあたる今川家の西上軍に従うが、今川軍は桶狭間の戦いで織田信長に大敗を喫し、井伊直盛も戦死する。
直盛は死に先立ち、小野家が再び専横することを懸念して、井伊家の分家筋である中野直由に直親を後見するよう遺言しており、直盛の祖父・井伊直平はこれに従って直親の後見役とした。
なお、小野家でも道好の弟・朝直と、一族とみられる小野源吾が討死している。
同12月、朝直の舅でもある井伊家親類衆の奥山朝利を暗殺した。
一方、隣国三河国では徳川家康が今川家を離反し、今川家を破った織田家と同盟を結んだ。
この頃になると直親も徳川家に心を寄せ、密かに内通していたという。
道好と直親は父同士の因縁もあり、関係は不仲だった。
道好は井伊谷を横領しようと画策していたとされるが、直由が後見役に収まってい ……