金子光晴(かねこみつはる)
詩人[日本]
1975年 6月30日 死去享年81歳
金子 光晴(かねこ みつはる、1895年(明治28年)12月25日 - 1975年(昭和50年)6月30日)は、日本の詩人。
本名は金子安和(かねこ やすかず・後に保和を名乗る)。
弟に詩人で小説家の大鹿卓がいる。
妻も詩人の森三千代、息子に翻訳家の森乾。
愛知県海東郡越治村(現津島市)生まれ。
暁星中学校卒業。
早稲田大学高等予科文科、東京美術学校日本画科、慶應義塾大学文学部予科に学ぶも、いずれも中退。
渡欧して西洋の詩を研究し、詩集『こがね虫』(1923年)を刊行。
その後世界を放浪して無国籍者の視野を獲得。
反権力、反戦の詩を多く残した。
作品に『鮫』(1937年)、『落下傘』(1948年)など。
経歴=
伝記の記載を年譜形式のみとすることは推奨されていません。
人物の伝記は流れのあるまとまった文章で記述し、年譜は補助的な使用にとどめてください。
(2020年5月)
愛知県海東郡越治村(現:津島市下切町)に大鹿和吉・里やうの子息として生まれる。
生家は酒類販売業だったが、2歳の時に経営が破綻。
一家は名古屋市小市場町(現:中区錦三丁目)に転居し、安和は土建業の清水組名古屋出張所主任だった金子荘太郎の養子となる(正式には6歳のとき)。
養母の須美は当時16歳。
1900年(明治33年) に養父・荘太郎が京都出張所主任となったため京都市上京区に転居、金子保和として銅駝尋常高等小学校尋常科に入学。
1906年(明治39年) に荘太郎は東京本店転任し銀座の ……
金子光晴が亡くなってから、49年と145日が経過しました。(18042日)