清岡卓行 氏(きよおかたかゆき)
作家、詩人[日本]
2006年 6月3日 死去間質性肺炎享年85歳
清岡 卓行(きよおか たかゆき、1922年(大正11年)6月29日 - 2006年(平成18年)6月3日)は、日本の詩人、小説家、評論家、法政大学名誉教授。
関東州の大連生れ。
東京大学文学部仏文科で渡辺一夫に師事した。
また、長らく、法政大学教授として新入生などにフランス語の基礎を、
さらに、萩原朔太郎作品などをテキストに、人文特別講義を担当し、学部や専攻にかかわらず多くの学生を指導した。
1996年に日本芸術院会員。
妻は作家の岩阪恵子(いわさか けいこ、本名 清岡惠子)。
前妻の息子清岡智比古は、フランス語学者で明治大学理工学部教授。
創作活動も行っている。
略歴=
ロシア・日本の租借地であった大連で、生まれてから敗戦による本土引き揚げまでの20数年間(内地での一高、東大在学時を途中に挟む)を過ごす。
大連の小学校では、先生に詩人の滝口武士がいた。
(清岡の著作『窓の緑』(1977年)の「「亞」の全冊」に、「また、滝口武士は、私が通った小学校の先生である。
担任の先生ではなかったが、私は朝礼のときなど、上品で優しそうな先生だなと思って眺めた記憶がある。
」という記載がある。
)
一高時代、詩人原口統三と親交をもつ。
大連という歴史的重層性と澄明な風土を備えた空間性のなかで育まれた感受性は、後の作品群に大きな影響を及ぼす。
東大在学中の1949年に、プロ野球の日本野球連盟に就職し、連盟分裂後はそのままセ・リーグ事務局 ……
清岡卓行さんが亡くなってから、18年と171日が経ちました。(6746日)