佐藤嘉尚 氏(さとうよしなお)
編集者、作家[日本]
(月刊誌「面白半分」発行人)
2011年 11月19日 死去肺がん享年69歳
佐藤 嘉尚(さとう よしなお、1943年11月8日 - 2011年11月19日)は、秋田県出身の作家、編集者。
筆名に里井鵠治(サトイ コウジ)がある。
経歴=
秋田県山本郡二ツ井町(現在の能代市二ツ井町)に生まれる(なお、日外アソシエーツ現代人物情報は「秋田県山本郡響村に出生」としている)。
秋田県立秋田高等学校を経て、浪人時代に山下力と知り合う。
1966年に慶應義塾大学文学部国文科を中退して東京新宿の小出版社である大光社に入社。
最初に企画した丸山明宏(後の美輪明宏)著『紫の履歴書』がベストセラーになったため、1969年、入社3年目で編集長に昇進。
金子光晴の『人非人伝』、吉行淳之介『生と性』『なんのせいか』、大岡昇平の『戦争』、泉靖一や西江雅之などの共著『構造主義の世界』、大島渚の『青春』や、中原弓彦の『笑殺の美学』などを刊行。
1971年に同社から独立して株式会社面白半分を設立、同社社長に就任。
同年12月より月刊雑誌『面白半分』を発行。
吉行淳之介、野坂昭如、開高健、五木寛之、藤本義一、金子光晴、井上ひさし、遠藤周作、田辺聖子、筒井康隆、半村良、田村隆一らを同誌の歴代編集長に迎え、同誌を1970年代活字文化を代表する月刊雑誌に育てる。
1972年、永井荷風作と伝えられる好色小説「四畳半襖の下張」を同誌7月号に掲載したことにより、同年8月21日に野坂昭如とともに猥褻文書頒布罪で書類送検された後に起訴。
1980年、最高裁判所で罰金15 ……
佐藤嘉尚さんが亡くなってから、13年と3日が経ちました。(4751日)