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田村隆一 氏(たむらりゅういち)

詩人翻訳家[日本]

1998年 8月26日 死去食道がん享年76歳

田村隆一 - ウィキペディアより引用

田村 隆一(たむら りゅういち、1923年(大正12年)3月18日 - 1998年(平成10年)8月26日)は、日本の詩人・随筆家・翻訳家。
詩誌『荒地』の創設に参加し、戦後詩に大きな影響を与えた。
府立三商業学校在学中から詩を書き始めた。
明治大学文芸科卒。
鮎川信夫・中桐雅夫らを知り詩誌「LE・BAL」などに参加。
戦後は、黒田三郎らも加わって、第2次「荒地」を創刊。
現代文明への危機意識をこめ、叙情と理知とが絶妙のバランスをなす散文詩を生んだ。
処女詩集は『四千の日と夜』(1956年)。
『言葉のない世界』(1962年)で高村光太郎賞受賞。
アガサ・クリスティーなどの推理小説の翻訳でも知られる。
来歴= 田村らが1947年に創刊した第二次『荒地』 東京府北豊島郡巣鴨村(現在の東京都豊島区南大塚)に生まれる。
生家は祖父の代から鳥料理店「鈴むら」を経営していた。
東京府立第三商業学校卒業後、東京瓦斯に入社するも1日も出社せず退職した。
研数学館での浪人生活を経て、明治大学専門部文科(文芸科)を卒業する。
1939年、中桐雅夫編集の『ル・バル』に参加する。
鮎川信夫、北村太郎、森川義信、衣更着信、三好豊一郎、牧野虚太郎らと知り合う。
1943年12月、学徒出陣で帝国海軍に二等水兵として入隊、海軍兵科第4期予備学生を経て、海軍少尉となり、滋賀海軍航空隊へ着任した。
長身を猫背に曲げて歩き、靴の踵が30度も外側にすり減り、士官服を着た文士崩れにしか ……

田村隆一さんが亡くなってから、26年と87日が経ちました。(9584日)