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鮎川信夫 氏(あゆかわのぶお)

詩人翻訳家[日本]

1986年 10月17日 死去脳出血享年67歳

鮎川信夫 - ウィキペディアより引用

鮎川 信夫(あゆかわ のぶお、1920年(大正9年)8月23日 - 1986年(昭和61年)10月17日)は、日本の詩人・評論家・翻訳家。
別名・二宮 佳景(にのみや よしかげ)。
本名・上村 隆一(うえむら りゅういち)。
戦後の詩壇で一貫して重要人物とされる。
第1次、第2次『荒地』の創刊に関わる。
「詩人の条件」「なぜ詩を書くか」などの詩論で、戦後詩を性格づける中心的役割を果たした。
作品に詩「死んだ男」(1947年)、『鮎川信夫詩集』(1955年)など。
生涯= 鮎川らが1947年に創刊した第二次『荒地』 東京小石川の高田豊川町に生まれる。
父・上村藤若(「帝国文化協会」主催の出版者・文筆家)は農本主義的なナショナリストで、世間的には温厚な人格者でありながら、家庭内ではすこぶる冷淡な人間であったため、鮎川にとってのモダニズムは〈父親イメージへの反逆から始まった〉と後に語っている。
母の幸子は幕末の大野藩の蘭学医・土田龍湾の孫。
16歳で詩作を始める。
筆名「鮎川信夫」は雑誌『若草』への投稿作「寒帯」(1937年)で名乗り、佳作掲載されて以来用いたが、初期には様々な筆名を用いた。
1937年(昭和12年)秋に神戸で中桐雅夫が刊行していた同人誌『LUNA』に加入(筆名・伊原隆夫)。
その後、詩誌『LE BAL』へ投稿。
一方、1938年11月には森川義信らと第一次『荒地』を企画し、翌年3月から2年間に6冊を刊行する(後の鮎川の代表作のひとつである「死んだ男」の詩中に ……

鮎川信夫さんが亡くなってから、38年と51日が経ちました。(13931日)

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