平野威馬雄 氏(ひらのいまお)
詩人、フランス文学者[日本]
1986年 11月11日 死去心筋梗塞享年87歳
平野 威馬雄(ひらの いまお、1900年(明治33年)5月5日 - 1986年(昭和61年)11月11日)は、日本の詩人・フランス文学者。
同人誌「青宋」主宰。
日本詩人クラブ創設会員。
横浜市出身。
大杉栄との交流の縁から、平野の父とも個人的に交友関係のあったジャン・アンリ・ファーブル関係の著作の翻訳をいくつか手がけたことでも知られている。
松戸 淳(まつど じゅん)という変名で好色文学の翻訳も手がけた。
2度の結婚で9人の子を持つ。
来歴・人物=
生い立ち=
東京市赤坂区青山北町(現在の東京都港区北青山)の柳原愛子邸に生まれ、横浜市西区老松町に育つ。
父は弁護士事務所勤務から富豪の未亡人の3番目の夫となったことで財を成し、美術好きの日本通としてサンフランシスコ日米協会The Japan Society of San Francisco(The Japan Society of Northern Californiaの前身)の初代会長を務めたヘンリイ・パイク・ブイ(Henry Pike Bowie)で、その妻の死後1893年に来日し日米を行き来していた。
威馬雄は「ブイはフランス系アメリカ人であったが、遡ればスコットランドの貴族の家系で、ナポレオンの最初の皇后ジョゼフィーヌの近い親族の子孫にも当たる」としているが、アメリカの資料では、18世紀にスコットランドからアメリカのメリーランドに移民したブイ一族の子孫である。
母の平野駒は夫同様カトリックを信仰する日本人で琴の教授だったが、近所ではラシャメンという蔑称で呼ばれ、差別に苦しんでいた。< ……
平野威馬雄さんが亡くなってから、38年と10日が経ちました。(13890日)