小松崎茂 氏(こまつざきしげる)
画家、イラストレーター[日本]
2001年 12月7日 死去心不全享年87歳
小松崎 茂(こまつざき しげる、1915年2月14日(戸籍上2月21日) - 2001年12月7日)は、東京府(現:東京都)出身の画家・イラストレーター。
空想科学イラスト・戦記物・プラモデルの箱絵(ボックスアート)など、挿絵の第一人者として幅広く活躍した。
略歴=
日本画=
小松崎は東京市(現:東京都区部)の南千住で生まれ、青年期には日本画家を志望し花鳥画の堀田秀叢(ほったしゅうそう)に学ぶ。
しかし、転じて秀叢の弟弟子の画家・小林秀恒の下で挿絵画家の道を歩むことになる。
少年誌での活躍=
1938年に「小樽新聞」に連載の悟道軒圓玉の講談小説『白狐綺談』の挿絵でデビューし(筆名は「恒方」)、翌々年には科学雑誌『機械化』の挿絵で、戦争物や空想科学を題材にした絵を描き評判になる。
本名のほか「三村武」「最上三郎」といった筆名を使い分けるなどして『機械化』誌上を賑わせた。
第二次世界大戦ごろには小松崎の描く挿絵は俄然注目されるようになり、少国民向け雑誌に戦記小説の挿絵や、軍艦、戦車、飛行機などの戦争イラストを数多く発表する。
1945年の東京大空襲で生家は全焼し、それまでの資料やスケッチも灰になった。
敗戦後の復興期、日本を占領した連合国軍に群がる子供達の姿を痛々しく思い涙を流したという小松崎は、自分の絵で子供達を励ます事は出来ないかと考えるようになり、作品作りもより精力的に行うようになる。
少年誌向けに表紙や挿絵を数多く ……
小松崎茂さんが亡くなってから、23年と0日が経ちました。(8401日)