島田墨仙(しまだぼくせん)
日本画家[日本]
1943年 7月9日 死去享年77歳
島田 墨仙(しまだ ぼくせん、1867年11月4日(慶応3年10月9日) - 1943年(昭和18年)7月9日)は、明治から昭和初期に活躍した日本画家。
橋本雅邦の弟子で、歴史画、特に歴史人物画に優品を残した。
略伝=
生い立ち=
越前国福井城下で、元福井藩士島田雪谷の次男として生まれる。
父・雪谷、兄・島田雪湖も日本画家である。
9歳頃から父から絵を学び始める。
1882年(明治15年)頃、福井中学校(現在の福井県立藤島高等学校)に入学。
しかし、1884年(明治17年)1月に稼ぎ頭の父を亡くすと、家計の事情から中学3年を修了した春に退学。
自分は士族に生まれたからには軍人にならねばならぬと思い込んだ墨仙は、すぐに陸軍士官学校、陸軍教導団に志願するが、視力が合格の1.0に満たず不合格となる。
翌年、福井中学校で代用教員の職に就く。
1886年(明治19年)東京美術学校入学を志し、父と同郷の岡倉覚三(天心)を訪ね、偶然狩野芳崖とも出会う。
美術学校は開校前だったので帰郷、再び陸軍を志すが不合格となり、画家として生きる決意をする。
しかし、兄雪湖は福井に家族を残し上京してしまったため、墨仙は今度は正式採用された教員として妹達を養いながら、独学で日本画を学ぶ。
画号を華堂、後に雪信とし、一方で父の門人だった小林寿や大平広正から西洋画も習う。
雅邦入門と挫折=
1896年(明治29年)4月上京、兄の家に身を寄せる。
四条派だった父の流儀に近い川端玉章に惹 ……
島田墨仙が亡くなってから、81年と136日が経過しました。(29721日)