西郷孤月(さいごうこげつ)
日本画家[日本]
1912年 8月31日 死去享年40歳
西郷 孤月(さいごう こげつ、明治6年(1873年)9月23日 - 大正元年(1912年)8月31日)は、明治期の日本画家、美術教育者である。
本名は規(めぐる)。
日本美術院の創設者のひとり。
生涯=
筑摩県筑摩郡松本深志町(現・長野県松本市)に旧松本藩士・西郷績(いさお)の長男として生まれる。
祖先は松平康長に仕えた三河西郷氏。
幼少時に東京神田に引っ越し、明治12年(1879年)6月、東京高等師範学校附属小学校、明治17年(1884年)7月、本郷新花町の私立独逸語学校、明治19年(1886年)、神田錦町私立東京英語学校で学ぶ。
語学を学ぼうとしたのは明治時代の風潮の1つで、語学を身に付けておけばなんとか生計が立つとの考えからであった。
同年10月小石川餌差町の私立知神学校美術科へ入学して絵を習い始め、明治21年(1888年)、狩野友信に師事して日本画修業を始める。
明治22年(1889年)、英語学校で同窓だった横山大観や、下村観山らとともに東京美術学校の第一期生として学ぶ。
初期の美校では基礎知識として、フェノロサによる美学、岡倉天心による「日本美術史」、フェロノサと岡倉天心の師である黒川真頼による有職故実、和文、金工、漆工史等の講義があった。
校内臨時試験で、観山と共に乙組に編入される。
同27年2月に絵画科を卒業、卒業制作の「俊寛鬼界ヶ島ニ決別ノ図」が宮内庁買上げとなる。
この頃から橋本雅邦に見出され、同校研究科へ進む。
翌年3月、岡倉覚 ……
西郷孤月が亡くなってから、112年と82日が経過しました。(40990日)