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木村武山(きむらぶざん)

日本画家[日本]

1942年 11月29日 死去喘息享年67歳

木村武山 - ウィキペディアより引用

木村 武山(きむら ぶざん、明治9年(1876年)7月3日 - 昭和17年(1942年)11月29日)は、明治から昭和初期の日本画家。
横山大観、下村観山、菱田春草らと共に、岡倉覚三(天心)のもとで日本画の近代化に努めた。
伝記= 明治9年(1876年)、茨城県笠間市に旧笠間藩士・木村信義の長男として生まれる。
本名は信太郎。
父は廃藩後に帰農した後、笠間銀行(現・常陽銀行)を設立、頭取となる程の実業家で郷党の人望家だった。
はやくも2歳頃から地元の南画家・桜井華陵に師事、12歳頃には「武山」の号を用いている。
武山の号は、笠間のシンボルとも言える佐白山・山上の別称「阿武山(おたけ)」に由来する命名という。
明治23年(1890年)、地元の西茨城連合高等小学校を卒業後に上京、東京開成中学校に入学するが、翌年、東京美術学校普通科に編入する。
ここで同校教授の下村観山の強い影響を受け、以後画家としての人生を観山と共に歩むことになる。
またこの頃、川端玉章の画塾・天真社で学ぶ。
明治29年(1896年)9月に卒業後も同校に留まり、日本画研究科へ進む。
同年、日本絵画協会第一回展に「貫定卿旧都観月」で二等褒状を受ける。
明治30年(1897年)2月には平泉中尊寺金色堂修復に助手として参加。
翌年10月に創立された日本美術院に参加、最初は副員だったがのち正員となる。
同年12月一年志願兵として近衛歩兵第1連隊に入隊している。
明治35年(1902年)頃から先輩 ……

木村武山が亡くなってから、81年と358日が経過しました。(29943日)

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