芸能人・経営者のおくやみ情報

市川森一 氏(いちかわしんいち)

脚本家[日本]

(「黄金の日日」「ウルトラマン」シリーズなど)

2011年 12月10日 死去肺がん享年71歳

市川 森一(いちかわ しんいち、1941年(昭和16年)4月17日 - 2011年(平成23年)12月10日)は、日本の脚本家、劇作家、小説家、コメンテーター。
日本放送作家協会の会長を務めた。
長崎県諫早市出身。
妻は『マキちゃん日記』で知り合った女優の柴田美保子。
妹は放送作家の市川愉味子(井上愉味子)。
実質的なデビュー作は円谷プロ製作『快獣ブースカ』。
代表作は『傷だらけの天使』『ウルトラセブン』『帰ってきたウルトラマン』『ウルトラマンA』『コメットさん』『露玉の首飾り』『TAJOMARU』など多数。
来歴・人物= 実家の呉服屋を継がずに旧海軍大村航空隊の教官となった父・市川一郎(同志社専門学校高等商業部出身)と、寛政5年(1793年)創業の老舗の諫早名物おこし屋の娘であった母との間に1941年(昭和16年)誕生。
小さいころから創作活動が好きで、物語や絵画などジャンルを問わずに様々な創作を行って、級友を楽しませたり、地元の新聞に取り上げられたりしていた。
母親の実家の近所にあった映画館(後の諫早パルファン)によく映画を観に行っており、のちに脚本家を目指すきっかけともなっている。
ミッションスクールであった鎮西学院中等部に進学したが、高校は普通校の公立高校長崎県立諫早高等学校に進学、そののち、日本大学藝術学部映画学科シナリオコース卒業。
1966年(昭和41年)に円谷プロダクション製作の子供向け特撮番組『快獣ブースカ』第4話「ブー ……

大河ドラマ「黄金の日日」や、特撮番組「ウルトラマン」シリーズなどの脚本を手掛けた市川森一(いちかわ・しんいち)さんが10日午前4時43分、肺がんのため東京都内で死去した。70歳だった。長崎県出身。葬儀は17日正午から長崎市茂里町3の31の法倫会館で、21日午前11時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所でそれぞれ執り行う。喪主はいずれも妻美保子(みほこ)さん。 1966年に「快獣ブースカ」で脚本家デビュー。「コメットさん」「ウルトラセブン」などの特撮番組や、「傷だらけの天使」などの人気ドラマを手掛け、78年のNHK大河ドラマ「黄金の日日」の脚本で高く評価された。 83年に「淋しいのはお前だけじゃない」で第1回向田邦子賞受賞。映画の脚本も手掛け、「異人たちとの夏」(88年)で日本アカデミー賞最優秀脚本賞を受賞した。作家としても活動し、小説「蝶々さん」などの作品がある。 日本放送作家協会で理事長や会長を務め、テレビコメンテーターとしても活躍した。2003年に紫綬褒章、11年に旭日小綬章。 (2011/12/10-20:00)

市川森一さんが亡くなってから、12年と347日が経ちました。(4730日)

推定関連画像