花登筺 氏(はなとこばこ)
作家[日本]
(本名は・花登善之助)
1983年 10月3日 死去肺がん享年56歳
花登 筺(はなと こばこ、1928年〈昭和3年〉3月12日 - 1983年〈昭和58年〉10月3日)は、日本の小説家、脚本家。
本名は、花登 善之助(はなと ぜんのすけ)。
来歴=
1928年(昭和3年)滋賀県大津市上北国町(現・長等1丁目)の近江商人の家に生まれる。
旧姓名・川崎善之助。
花登家へ嫁いだ姉・八重の養子となり、花登姓に改めた。
滋賀県立大津商業学校を経て、同志社大学商学部に進学。
1947年(昭和22年)北国町青年団の一員として演劇活動を始める。
1948年(昭和23年) 大津で自主劇団人間座の結成に参加。
その後「文芸座」を設立し、地元の芝居小屋や大津市中央公民館などで文芸作品を上演する。
1951年(昭和26年)同志社大学商学部卒業。
大阪の綿糸問屋に勤務するも肺結核により翌年退社。
病状は一時重体に陥るも回復し、作家を目指しラジオ局へラジオドラマの脚本を持ちこむ。
1954年(昭和29年)東宝と契約してラジオの台本作家、ミュージックホールの構成・演出を手がける。
1958年(昭和33年)大阪テレビ放送(朝日放送や毎日放送などの合弁、のちに朝日放送と合併し消滅)の『やりくりアパート』で、脚本家としてデビュー。
劇団「波の会」を創設。
1959年(昭和34年)『やりくりアパート』にレギュラー出演していた子役・中山千夏を東京の舞台公演へ出演させたい、とする東宝側の要請を花登が固辞したことから関係が悪化し東宝から独立。
松竹の支援で劇団「笑い ……
花登筺が亡くなってから、41年と50日が経過しました。(15025日)