花紀京 氏(はなききょう)
俳優、お笑い芸人[日本]
2015年 8月5日 死去肺炎享年79歳
花紀 京(はなき きょう、本名:石田 京三(いしだ きょうぞう)、1937年〈昭和12年〉1月2日 - 2015年〈平成27年〉8月5日)は、日本のお笑いタレント、喜劇俳優である。
生前はよしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属し、盟友の岡八朗と共に吉本新喜劇の二大巨星と呼ばれ、新喜劇の黄金時代を築き長きに渡って君臨した。
来歴=
大阪府大阪市天王寺区出身、阿倍野区育ち。
父は漫才師の横山エンタツで、エンタツの次男でありながら少年時代は笑芸に興味がなく、中学時代まで父親が喜劇人エンタツであることを認識していなかった。
また、父子は一度も共演していない。
また兄は関西テレビの元プロデューサーで、吉本新喜劇の中山美保は義姉(兄嫁)に当たる。
大阪市立墨江小学校、大阪市立阪南中学校、大阪府立阿倍野高等学校を経て関西大学入学後の1958年、麻雀仲間だった花登筺に弟子入りし、内海重典、大村準一らの指導を受け、OSミュージックホールにおける寸劇でデビューする。
1959年には芦屋雁之助らとともに劇団・笑いの王国の旗揚げに参加。
同劇団解散後、1962年に吉本興業入り。
師匠・花登の「花」と自身の本名「京三」にちなみ、「ききょうの花」をひっくり返した「花紀 京」の芸名を名乗る。
京三は新喜劇の役名としてしばしば使われている。
商店主、町工場主、建設作業員、工員、駐在といった庶民的な役を中心に、怪しげな正体不明人物(最終的には間抜けな ……
花紀京さんが亡くなってから、9年と132日が経ちました。(3419日)