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影山正治(かげやままさはる)

右翼活動家、思想家、歌人[日本]

1979年 5月26日 死去自殺享年68歳

影山正治 - ウィキペディアより引用

影山 正治(かげやま まさはる、1910年〈明治43年〉6月12日 - 1979年〈昭和54年〉5月25日)は、日本の右翼活動家、思想家、歌人。
愛知県豊橋市生まれ。
家は神官。
父は影山庄平。
豊橋中卒、國學院大學哲学科中退、在学時代から右翼運動に入り、1931年(昭和6年)全国大日本主義同盟、日本学生連合に参加、32年生産党常任中央委員、33年神兵隊事件で検挙。
36年に維新寮を結成、39年これを大東塾と改め塾長となった。
40年7月皇民有志決起事件で検挙、42年禁錮5年の判決を受けたが、43年には特赦となった。
44年11月応召。
1946年5月帰国。
54年4月3日大東塾再建。
保田與重郎に親炙し日本浪曼派の影響のもと民族派としての右翼活動、論評、作歌を続けた。
歌道や記紀に関して著書多数。
55年(昭和30年)青梅に農場をつくって入植。
昭和54年5月25日大東農場で自決した。
影山は戦前日本歴史、神道、古典から日本主義、愛国運動を説き、皇室を中心とした昭和皇道維新を目指して活動した。
クーデターによる国家改造と同時に日本文化主義同盟や新国学協会などをつくり、日本主義的文化運動にも熱心だった。
戦後は大東塾のかたわら不二歌道会をつくった他、青梅に農場をつくり、ここに大東神社をつくった。
戦前のような武力活動はみられないが、60年安保はじめ皇室への暴力的危機が予想される時にはひそかに武力による対抗を準備した。
また皇居防衛部隊の設置要求、「紀元節」 ……

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影山正治が亡くなってから、45年と63日が経過しました。(16499日)