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高島嘉右衛門(たかしまかえもん)

実業家、易者[日本]

1914年 10月16日 死去享年83歳

高島嘉右衛門 - ウィキペディアより引用

高島 嘉右衛門(たかしま かえもん、1832年11月22日〈天保3年11月1日〉 - 1914年〈大正3年〉10月16日)は、幕末から明治にかけて活躍した横浜の実業家、易学家である。
江戸三十間堀生まれで、幼名は清三郎。
後に嘉兵衛、嘉右衛門と改名した。
号は呑象(どんしょう)。
以下、嘉右衛門を使用する。
明治初期に横浜港の埋め立て事業を手がけたことで横浜の発展に寄与しており、「横浜の父」あるいは吉田勘兵衛、苅部清兵衛らとともに横浜三名士ともいわれる。
その業績は高島町という地名にも残っている。
「高島易断」という書を著す。
実業家= 江戸三十間堀町(現・東京都中央区銀座)に第六子として生まれる。
父は遠州屋嘉兵衛(本姓は薬師寺)。
母は「くに」。
姉が2人。
弟に高島徳右衛門。
父親の薬師寺嘉兵衛は、常陸国新治郡牛渡村出身で江戸に出て材木店「遠州屋」の手代となった。
嘉右衛門は兄が皆夭折したため嫡子となる。
幼少のころは父の教えに従い、四書五経や六諭衍義などを学ぶ。
何度か読めばすべて覚えてしまうほど記憶力はかなりよかったらしい。
14歳のころ父の営む材木商兼普請請負業や盛岡藩製鉄事業に従事するようになる。
父・弟とともに東北で7年間働く。
嘉右衛門19歳の時、父を亡くし、棄捐令による影響や次姉の養子の放蕩により莫大な借金があることがわかり、その返済に奔走することになる。
その頃父の名「遠州屋嘉兵衛」を ……

高島嘉右衛門が亡くなってから、110年と15日が経過しました。(40193日)

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