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梅宮辰夫 氏(うめみやたつお)

俳優タレント実業家[日本]

2019年 12月12日 死去慢性腎不全享年82歳

梅宮辰夫 - ウィキペディアより引用

梅宮 辰夫(うめみや たつお、1938年〈昭和13年〉3月11日 - 2019年〈令和元年〉12月12日)は、日本の俳優、タレント、司会者、実業家。
娘はモデル・タレントの梅宮アンナ。
生涯[編集] 生い立ち[編集] 梅宮の先祖は、福島会津若松の城下で「梅宮屋」の名前で煙草を売っていた。
梅宮の祖父・辰次郎が陸軍士官学校卒業後日露戦争に従軍。
妻とともに満洲・奉天市に移住。
辰次郎は関東軍参謀・板垣征四郎とも懇意の仲で、祖父の葬儀では板垣が弔文を読んだ。
辰次郎の次男で父の次郎は同地で生まれ、満洲医科大学を卒業し医師となった後、満州国ハルビン特別市で満鉄病院に勤務していた。
梅宮のほか弟と妹それぞれ2人ずつおり、5人兄弟の長男である。
一家はその後、次郎の異動により開原市(現中華人民共和国遼寧省)に移住、同地で太平洋戦争終戦を迎え、1946年に他の引揚者らとともに信濃丸で博多港に帰国。
満洲から帰国して半年後に茨城県水戸市の病院に職を見つけた父とともに一家で移住。
小学校・中学校は1クラスだったが、小学4年から中学3年までの6年間はずっと番長で、生徒会長にもなり、女生徒からも人気があったという。
茨城弁は訛りがキツくて嫌いで、水戸時代も茨城弁は一切使わず、東京弁で通した。
茨城大学教育学部附属愛宕中学校では陸上競技をしていた。
同校の後輩にはジャーナリストで評論家の立花隆がおり、立花とは後年、テレビ番組の企画で共演して ……

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梅宮辰夫さんが亡くなってから、4年と228日が経ちました。(1689日)